1964/1/21太陽水瓶座0度
京都府城陽市在住
占星術師活動2000年スタート
セッション数1万人超え

シングルマザー歴ありの二男一女、孫三人
2003年自宅を拠点に
2005年  占いライター兼業
2015年 ルーティーンのライター業に飽きる
2016年自分の仕事は自分で創るゾとブログ書き始めました。

サターンリターン
私の太陽を生きよう

28歳の時に自分は人生のどこにいるのか、無性に知りたくなり占星術の勉強を始めました。28歳といえば占星術ではサターンリターン、星の成人式です。この時に構築した人生観は、離婚すること。そして経済自立を果たすことでした。

この頃の私は、誇れるキャリアなし、学歴なし、特技なし、お金なしのないない尽くし。あるのは、小学生の二人の息子たち。4つの仕事をパートでかけ持ちしながら、その合間に勉強をし、夜中は電話占い休日はフリマ出店。そろそろ本格的な実践を積もうと、日本初タロットカードの普及に尽力された木星王先生のところに勤めます。(占術名 運美)

当時、執筆活動にも憧れていて占星術の大家、松村潔先生と、正統派のタロット家の井上教子先生にメールで猛アタックし無料で原稿を書かせてもらいました。この頃、めちゃくちゃ忙しくて詳しいことを覚えません。そんな状況の中、N太陽P金星コンジャンクションのタイミングで再婚しました。

鏡

中年の危機
42歳まさかの妊娠

2003年にフリーになり、自宅セッションとライター業をスタートさせました。(私のICに太陽4ハウス火星とコンジャンクョン)占星術でいう中年の危機の42歳のとき、まさかの妊娠で長女出産。このとき再婚してから7年目。長男22歳、次男20歳でした。

これまで続けていた活動を一旦すべて整理。一旦、社会活動から離れたことで仕事への熱量を確認できたし、これまでのように誰かに与えてもらう仕事スタイルではなく(契約)自分で自分の仕事を創れる自分を目指したのがプログレス太陽サビアン(人の住んでいる島)。ゼロから一への再チャレンジです。太陽・月と共に火星エネルギーが強いので、サイト名に火の神、アグニと命名。「私の太陽を生きる」決意を更に固めたのでした。

セカンドサターンリターン
人生は55歳から

50歳も過ぎれば、もう自分は社会では通用しないかもしれないと、多くの人が思うのではないでしょうか。決意して実践し続ければ、自分の世界を創れることは何歳からでも可能なことを示したい。私の太陽水瓶座0度は、家族との関わりだけを密にして生きることでもなく、パートナーと寄り添って生きることでもないと知り、再度プライベートでもフリーで自由な身となりました。同じ時代を生きる同志たち、そして自然をこよなく愛する自然崇拝者の魔女サマ方、そして次世代の若者たちと占星術やアカシックを通して互いの意識進化を促し続ける循環を起こしたい。これも人道的な働きを示す、私なりの水瓶座土星のゴールです。

サターンリターンから始まった、経済自立を目指した私の世界創り。二度目のサターンリターンを迎えたプログレスの太陽30度(巨大な石の顔)では、アリエスポイントとなる次なる牡羊座0度に向かうため、そしてこれまでの原型的な形を作るために初級講座のまとめ本「二度目の土星回帰、人生は55歳から チューニング占星術」出版。これまでの活動を形を残す経緯に至りました。

私の太陽を生きていれば
日々、些細なことで心豊かになる感性が育ち
そばにいる人も
私の太陽意識に目覚めだすでしょう。

この熱量が連鎖して
地球に住む人全員が
自分の太陽を生きれば
世界平和へとつながっていくのではないか
希望の連鎖が起きると信じています。

私の太陽にt冥王星が一旦、乗る2023年。その頃に自分の創った世界がどう変容するのかを楽しみに、今日も私の太陽を生きています。山羊座にもう戻ることのないt 冥王星が水瓶座に落ち着くのは25年。この時には、海王星も天王星もサインチェンジする年で時代はすっかりと変貌を遂げるでしょう。

共に同じ時代を生きる同志たち
占星術やアカシックという魔法を使って
豊かな人生を実現していきましょう。