本日がお誕生日おめでとうございます。
心がコロナ感染している人がチラホラ出現しだしているので、臨時号の星詠みを贈ります。
ウィルスは目に見えない海王星です。
海王星は本来の場所である魚座にあるので、とても強く働き、そして真実はどこまでも不透明です。
最初は遠い国の出来事と感じていたとしても、マスクやペーパー類がなくなり、国からの要請で学校がお休みになる緊急処置がとられれば、海王星の水によって、誰もが心が不安や持って行き場のない思いに侵食されていくでしょう。
ペーパー類がなくなることに不具合は抱かなくても、今後受けるであろう経済の影響を考えると事業計画は頓挫するし、それが長年温めてきたものであるのであれば、この状況に絶望すら感じる方もおられると思います。
魚座・海王星
魚座の海王星
山羊座にある冥王星
トランスサタニアンは時代の大きなうねりを創る流れで、この流には逆らうことはできません。私たち個人は、まさに運命としか言いようのない状況に陥ったとしても、ただ受け止めるしかないのです。
個人の力の限界、そしてエゴを知らしめるトランスサタニアン。
魚座の目的は、何を信じて生きるかです。
情報を信じるのではありません
I believe 我を信じる、です。
こちらの図は水の三角形です。
蟹座→蠍座→魚座
蟹座 I feel(sense)心の居場所
蠍座 I desire 情念や欲望
魚座I believe 我を信じる
この水のプロセスを辿らないと、魚座の I believe、 我を信じることはできません。
当ブログでは大人の解釈を書きますね。
蟹座 I feel(sense)心の居場所
蟹座の心の居場所は、家族といった小さな範囲に留まらず、家族のような関係も含まれますが、心の居場所とは、何の防衛もしていない素っ裸の私が座れる、心地よい椅子があるかどうかです。
これは誰かが用意してくれるものではなく、自らがその場に飛び込んで行きコミュニケーションを交わし、自分から椅子の場所を創る必要があります。
わたしの1つの拠点です。
これができてはじめて次の、蠍座 I desire 情念や欲望へと向かえます。
公には言えない、私の胸奥深くにある情念や欲望。
これは自力で叶えることはできません。なぜならスケールが大きいからで、だからこそ特定の人物と一体化して全身全霊のエネルギーをかけて集中していく必要があります。
自ら願わなくても、宿命のような離れられない繋がりの中での苦しみ体験でもありますね。
拭っても拭っても拭いきれない思い。
この情念に出会った時、自分のことを何と汚らしい嫌な女だと思う感情と向き合うことになるだろうし、自分の感情と出会わなければ、相手の闇の感情をまざまざと見せつけられることになります。
人間やめたい・・・
そんな心情になるほど蠍座で一体化して、この欲望を叶えられたら次の魚座へと向かえます。
欲望を叶えられなければ、一生トラウマとして残ります。
蠍座の死を迎えて再誕した後の水の感情を持てれば、次の魚座のI believe へ。どんな現実が目の前に現れようとも、我を信じられるのではないでしょうか。
信じる力とはとてもパワフルで、このパワフルさは魚座の前の蠍座体験があってこそだし、またこの蠍座を支える心情は、いつ帰っても素っ裸で座れる、蟹座の私の心地よい椅子があるからなのです。
信じることは簡単なようでいて、実は簡単なことではありませんね。
感情の水は、上から下にしか流れず、心は放置しておくと未来ではなく過去にしか向かいません。不安や心配にしか向かわないのです。
この水のプロセスを体験をしていなければ、魚座が刺激されている今、常に心はグラグラ、情報に煽られ不安に侵食されて生きることになるでしょう。
このブログの対象者である50代の大人の女性に向けて、続いて書きます。
魚座I believe 我を信じる
私を信じれるのであれば、蠍座体験によって自分が選んだ、自分以外の特定の人を心底から信じられるはずです。
たとえ騙されると分かっていたとしても、騙される私を信じれる、そんな信念のような感情が生まれてくるものではないでしょうか。
ここで現実が思い通りに変わることを望むのは、エゴでしかないことに気づいてください。
魚座の世界にエゴや個人的な感情は通用しません。信じたその先には牡羊座があるたけで、それは自分の望むものかどうかなどはわからない。牡羊座は、まっさらのわたしで、想定できるならまっさらではないからです。
未来を描くとき、これまでの思考で描くのは未来ではないのです。
これまでの自分には無かった全く違う新しい考えで未来を構築することができなければ、知らない間に不安や心配に侵食されて、心がズブズブと濡れて重くなっていくだけでしょう。
では、この続きは誤字連発のニュースレターで。(・∀・)
魚座は境界線がないので、私もあなたも、嘘も真実もなく、信仰心のように、私の心の中にあるパワフルに信じる気持ち、この 実感だけを感じ続けてお過ごしくださいね。