フォーラムへの返信
-
投稿者投稿
-
祐子さん
>グルジェフの『意識の発達段階を示すために使われる水素という定義』に、タロットのコートカードで説明をされてる部分があり
グルジェフは音階で説明されているので、ずっと苦手意識があります。「ヘリオセントリック占星術」その本はまだ読んでいないので、次回のレッスンじにここ↑説明してください。楽しみにしています。
25年の今年は「暇に過ごす」ことを目的にしてきたので、遠い昔の読書週間が戻りつつあります。
ただ、占星術を学んでいて一つの厄介ごとは、本を読み進めているうちに著者のホロスコープを描いてしまうため内容になかなか没頭できないことです。この言い回しは水星は〇〇かなとか、ここでこういう情感展開に持ってくるのは、月は〇〇とコンビネーションとっていて〇ハウスでしょうとか。いやこの人、太陽ハウスはここしかない、とかついつい推測してしまうのです。
なので、どうしても気になるときは先にホロスコープを出してから読むようにしていますが、先にホロを知ると著者の「運び」が推測されるので、犯人を知ってから推理小説を読むようなものなので楽しみは半減してしまいます。ホロの想像も全くの予想通りではないので、それはそれでまた悔しがるという、一冊の本からいくつもの葛藤や悶え、自分への怒り、ショック体験という忙しさを味わっています。
ひろみちゃん、投稿ありがとうございます!
蠍座の佐藤愛子さんね、そりゃぁお強いわ。
ひろみちゃんも、どの分野においてもマニアックだこと。昭和生まれの人は、アップダウンが激しいのは、生に対するエネルギーがそれだけ強かったからかな。私も3回目目指さにゃぁ〜笑
確かにどんどん柔軟性はなくなり、カチカチのゴワゴワになっていく〜真由美ちゃん、熱心にありがとうございます。
ガルガルしてるが、また夜にどう感じるかが楽しみですね。DISCSのPrince
実直で計画通り、確実
ネガに出ると臨機応変さの欠如、イレギュラーに弱い真由美チャンネルでは、自制していて「どうどう」とコントロールの力に使おうとしている状態。
>プリンスを取り囲むモチーフは円。
争いを望んではいない。これもナイスな視点です。
私はこのカードを引くたびに自分の潔癖さを見る。
孤高と普遍さがペースにあるのだから当然で、ぬるい隠者など「自称、霊能者」と同じで軽蔑すらしてしまうのも、精神世界の領域へ足を踏み入れたのなら生涯、学徒という立場を守るべきといったルールが自分の中にあるからだと思う。
統合、一つの完成形の一つ手前の9
この統合の仕方で次の10のステージが決まり、次の1が始まると思っているので、慎重かつ丁寧にやらねばならない。この丁寧さは自己対峙、内省の丁寧さで、この段階に自分が入ったときは、可能な限りデジタルは遠ざけて面倒で時間のかかるアナログ方式を取るようにしている。それと呼吸の見直し。今週は久しぶりに隠者が出たので、最近知った呼吸をひたすら練習しているが、なかなか難しい。たかが呼吸、されど呼吸。意識と無意識の橋。自己統合。この奥深い世界も隠者だなとしみじみ。
禅問答めくのですが、ここから太陽サインを詠む核心です。
ヘリオの太陽とは「読む」対象ではなく、「軸」そのもの。つまり「あなたの魂の存在点」座標の中心にあって、そこからすべての惑星が広がり、関係を持ち始める。
ジオでの太陽が「人格の中心・アイデンティティ」なら、ヘリオでの太陽は「魂そのものの光源」であり、「解釈されるべきサインを持たない」。だからこそ、ヘリオで太陽を読むのではなく、太陽を基点に他の惑星や地球を読む。太陽そのものは沈黙していて、むしろ「存在の証明」としてそこにいる。
⭕️どう扱うか
ヘリオの太陽は 不動の中心 なので、他の天体がどう配置されるかで「魂の運行のテーマ」が浮かび上がる。例えるなら「舞台そのもの」。役者(惑星)は変わるけど、舞台(土台)があるから物語が動く。ジオの太陽が「私は誰か?」を問うのに対し、 ヘリオの太陽は「私は在る」という答えそのもの。
⭕️解釈のヒント
もし無理に言葉を当てるならジオ太陽 = 自我の火
ヘリオ太陽 = 魂の恒星
だからヘリオの太陽を「読む」のではなく、「沈黙する光」として据えるのが正しい。⭕️まとめ
ヘリオの太陽を軸とし(内なる光でもいいし還る場所としての認識)惑星を詠んでいくQこれまでの太陽サインの反対として詠めばいいか
(ここ初歩でいたばん肝心要の感覚なので一読し感覚に落とし込んでください)ヘリオ占星術(ヘリオセントリック=太陽中心)における太陽は、ジオセントリック(地球中心)のように「人格・自己・アイデンティティ」を象徴するものではありません。なぜなら、ヘリオでは太陽が 中心そのもの なので、「配置される天体」としては扱われないからです。
ですから、
ジオの太陽 ⇔ ヘリオの地球
この対応はよく言われます。
ジオでの「太陽のサイン」が、ヘリオでは「地球のサイン」として反映される。(例:ジオで牡羊座太陽なら、ヘリオでは天秤座地球になる)ヘリオの太陽をジオの“反対”として解釈するのは不正確。 太陽は「存在の中心」なので反対という概念がないんです。
まとめると
❌「ヘリオの太陽はジオの反対」 → 正しくない
⭕「ヘリオの地球が、ジオの太陽と対向のサインになる」つまり、解釈の対応は「ジオ太陽 ↔ ヘリオ地球」であって、ヘリオ太陽自体には反対の意味づけはありません。ヘリオは 「魂の視点」、ジオは 「人格・体験の視点」 とされるので、太陽(自己)の解釈もレイヤーが違うのです。
冥王星がプルトニウムというのは、何も残らない例えです。絶望して再生する人、しない人の差は、執着心となりますか。
>絶望は生きていくうえでどこかで体験必須なんでしょうか?
したくないよね、できれば。場合によっては、根暗になったり、性格がひん曲がってしまうから。でも月にかかれば、体験しちゃうよね、です。このタイミングで、家族や親近者と断絶する人は多いです。自ら決断して実行する人もいれば、不可抗力な運命によってそうなる人もいます。私
まずは以前の投稿
>25年は死神
こちらも過去を遡ると、52歳と43歳
52歳の時は、。まだ仕事でやり切った感がなかったので人生最後とターボかけた年。がむしゃらにやった。43歳は42歳で高齢出産したので生活が一変し、人生で初めてピンク色が可愛いと感覚が激変わりした年だった。25年は、満61歳で何が劇変わりするのか・・・自我を薄めるた翌年は、これまでになかった自我が生まれるのだと今回カードから知れた。太陽冥王星で、怖い化け物になろう。怖い化け物化はしていないと思うけど、生き方が180度変わった。
まず、暇を楽しめるようになった。焦りのない受け身が取れるようになり、今までの火星の使い方をやめた。25年のソーラーリターン図通りに生きているのもあるけれど、なんでもない暮らしを楽しめるようにもなったし、随分と遊んだ。人間関係は狭くなったけど、今後も広げようとは思わない。実感としては、エネルギーを溜め込んでいる感じ。
26年この溜め込んだエネルギーをどう使うかは、すでに決めてある。笑 次は節制だもの、仕込みます。━━━━━━━━━━━━
あまりにも絶望
━━━━━━━━━━━━占星術用語表記すると、t冥王星がpn月に続いてスクエアにかかった時、絶望体験がありました。太陽よりも月の方が圧倒的にダイレクトで、スクエアだったのでキツかったです。星からの考察と現状生活との照らし合わせができていたので、思考では十分にわかっていたし、むしろ自分で望んでいた展開だったにも関わらず、実際に体験してみると「絶望感」しかありませんでした。
冥王星はプルトニウムというけれど、まさにそんな感じ。深い深い洞穴に落ちたように何も無くなって真っ暗。もう私には、何も無いしか無い感覚。孤独とかといった言葉はあまりにもぬるくて、ただ慣れてしまえばこれまでのどの体験よりも一番しっくりくるというか、落ち着くというか。(太陽にも冥王星が乗っているために、なかなか無い体験)
そんな感覚に陥っても日常リズムを繰り返すうちに、だんだんと私の月にも雑草が生えてきた模様。チェルノブイリのように、野生動物が暮らす森に5年後にはなっていると思われます。月の絶望体験は再生できれば最高ですよの、あまりにも絶望の感想でした。
8月は「エッセイ」です。
私が初めて夢中になったエッセイは、ananを後ろから開かせる「林真理子」でした。このフレーズが通用するのは、anan最盛期を知っている昭和生まれしかわからないと思いますが、テレビ中心時代に、林真理子のエッセイはセンセーショナルでした。東京の競争率の激しい世界で奮闘する著者の独自視点、尽きることのない欲望に、ミーハーなゆえに芸能人たちとの交流の中、現場でしか見れない垣間見る素顔のチラ見せなど、全く知らない世界をエッセイから知りましたが、何が一番面白かったのかと振り返ってみると、著者の人生快進撃でした。
読み手の私は「もういいやん」「もう満足でしょ」とお腹いっぱいなのに、まだまだ走るよどこまでもで、一体この人はどこまで突っ走って行くんだろうかとみてみたい気持ちにさせてしまうところは、太陽牡羊座の冒険者だったからだと星を見て納得。太陽牡羊座なら、こう生きなくっちゃのお見本みたいな方でした。牡羊座は自分視点が持てないためにパートナーは必須なのですが、お見合い結婚されて子供さんも無事になんとか出産されましたね。もうお子さんも、ええ大人になっておられるんじゃないでしょうか。
8月に輪読会で紹介するのは、林真理子ではなく益田ミリです。(あっさり裏切る)
平凡な暮らしの中での小さなドラマが織りなす余韻が独特で、一時期よく読んでいました。令和では少し古い気もするけれど、平成にはピッタリ? 題名も「お母さんという女」団地暮らしが織りなす人間関係の中で、娘の視点から母を解析しているほのぼのエッセイです。━━━━━━━━━━━━
自我崩壊、ばんざーい
━━━━━━━━━━━━これまでの自分がガラガラと崩れる体験、タロットカードで例えれば「塔」になりますか。
これまでの自分はイけてたはずなのに「あれ? もうお呼びではない? 」と誰からも求められなかったり、これまでの価値観や常識が崩壊される体験。それはそれはショックだけど、もうこれまでの自分が通用する時代は終わったことを知らされるシビアな現実。これは自分の行き過ぎた傲慢さ、そそり立ったエゴの崩壊ですが、この体験がないのもちょっと問題。その理由は、これまで誰の前でも主張してこなかったのね、です。
自我崩壊すると、誰とも会いたくないしプチ鬱状態に陥りますが、ここからどう再建をするかで、今までよりもずっと素敵な自分になれるか、それか鬱々と被害者意識で生きることになるかの分かれ目です。この再建も、未来計画がなければ果たせません。なんとなく、そのうちに、なんとかなるやろでは、どちらに向いて歩いていけばいいかわからず、きっとどこかに自信のない自分を抱えたまま生きることになります。
この未来計画も、大層に考えるのではなく、明日を生きれるほどの小さな希望でいいんですよ。大きな大志を抱こうとするから、なかなか見つからないし、叶わなければ自分を責めてしまうのだから。自我崩壊したんだから、等身大で見積もった自分を生きていけばいいのです。
----------------------
前回の日記 Dクィーン C9 皇帝
今回の日記 星R 隠者 C7
-----------------------------先々週の検証
>うまく統合できた模様。だからか、久しぶりに隠者のカード。またここに戻ってきた感じ。星Rは、とりあえずの方向性、向かっていく道標に沿って、私自身の調整も兼ねた忍耐強い繰り返し。もう直ぐ乙女座月間で、これから考えてもライオンズゲートで掴んだ感覚は、合っていたのだと思える。
C7は、これからの予定の心配を表しているように見える。
さらに自分に正直になったので、生理現象に耐えられるかの不安。不快さを察知した場合、吐き気を催すような胃液と血液の逆流感。困った体になってしまったもんだ。8/16蠍座下弦月
マイ満月現実生活は至って淡々と静かに過ごしていたのに、日記を飛ばしてしまうほど、精神の部分ではライオンズゲート終了とともに今年の夏は濃かった。「馬にまたがり骸骨の締め具をつけたインディアン」サビアン通り、獲得したというよりも、やはりこれ、これしか残らなかったという感じ。この実感が非常に強いマイ満月。
これまで通りの汚い格好で、創造を続けて行く。
これ以外に何があるのか、私の人生はと、どんどん固定されていく体感。━━━━━━━━━━━━
新しいことを始めようとせず
過去をなぞれ
━━━━━━━━━━━━私たちは「新しい挑戦」や「新しい環境」に希望を託しがちです。人間関係を変えたり、場所を変えたりすれば、人生そのものも刷新できるように思うからで実際には、どこへ行こうと、誰といようと、結局は「自分という存在」が世界を織りなしています。だから外側を変えなくても、自分が歩んできた過去を丁寧になぞることで、自分の運命を知り、必要な答えや気づきは見えてくるはずです。
占星術からみれば、私たちは皆「星の示す範囲」で生きています。大きな流れはすでに与えられていて、完全に自由に選んでいるようでいて、残念ながら運命の大枠から外れることはありません。外れたとしたら、それは当人にとって「自分らしくない」違和感しか感じないと思います。とっても虚しい気もするけれど、その枠の中で私たちは泣き、笑い、怒り、喜び、無数の感情を体験する。その一瞬体験の連鎖が人生なのだと。
あれが欲しい、これが欲しいといろいろと手に入れてたとしても、精神では得ても得なくても同じ。得たとてそれが永遠に続くはずもない現実世界があり、それによってまた悩みや不安は増えるし、そして最期は何も持っては行けない。
未来に焦り新しいことを始めるよりも、過去をなぞることで運命が浮かび上がり、どんな一歩を今、歩めばいいかが自然とわかるようになります。求めてもご縁のないものは無いし、そこを科学やお金の力で手に入れたとしても、それは何か別のカルマをわざわざ作るような気もします。
運命は決まっているはずがない、私は〇〇なんだからといった考え方そのものが、運命を受け入れていない、自分を受け入れていないことに通じるのではないか。何でもかんでも可能、欲しいものは全て手に入るといった考えも、情報洗脳でしかなく、私たちは手に入らない体験で得る学びの方が圧倒的に尊く人生に深みを与えてくれる作用ではなかろうかと、nt海王星がアスペクトをとる58歳からはそう考えるようになりました。
-
投稿者投稿
